FDの「生き方」・心がまえ

人知れぬ悩み

 東日本大震災が起きたあと、会食恐怖という症状について改めて考えてしまったことがあります。被災地のあまりの悲惨さや、被災された方々の苦しみ、、日本が置かれた深刻な状況と比べた時、「人と食事ができない」などという悩みがあまりに小さくパーソナルなことに思われ、悩むことそのものが不謹慎なのではないかという思いにとらわれたのです。

 結果的には、自分が被災者の支援に関わったことや、時間が経過したことで、そうした思いはほとんど無くなりましたが、少なくとも自分は、「会食恐怖」であるということが、時として自責の念に近い感情につながることがあります。

 

 FDは、基本的には人といっしょに食事をする、あるいは外食するという、限られた状況でのみ起こる症状で、一概には言えませんが健康にただちに影響があるものではないし、普段外から見ても分からないため、本人にとっては相当に深刻な問題である一方、他の方には理解されにくいと思います。そういった意味でも、FDの方は、誰にも言えずひとりで悩みを抱えたり、自分を責めたりしていることが多いのではないでしょうか。

 

前向きに生きるということ

 「食事」は生きていく上での最も基本的な活動ですし、コミュニケーションの手段でもありますから、油断すると、最悪、社会との関係に深刻な影響を及ぼしてしまうことにつながりかねません。 それがこの症状の厄介なところです。

 

 答えになっていませんが、私は個人的に、FDと生きていくためには、「FDと戦う」という前向きな姿勢がいつも必要だと思っています。恐らく、FDの方の多くは、私と同じく、現実と格闘しながら三歩進んでは二歩下がり、日々前向きに過ごされているのではないでしょうか。

 

 私自身、FDであることによって、諦めたことはたくさんありますし、悲しい思いもたくさんしました。FDでなかったら、もっと違った人生もあったかもしれません。でも、仮定の話をしても仕方のないことです。 私はある意味勇気がなく、自分がFDであることを打ち明けた相手はほとんどいません。ある意味孤独ではありますが、事実を受け入れて、できるだけ前向きに日々の生活に向かうしか方法はないと思っています。

 

 まあ、前向きに考えれば、仲間と一緒に昼食に出掛けられなくても、代わりに夜の飲み会を自分で設定するとか、同僚を弁当仲間に引き入れるとか、休日にBBQを企画するとか、人間関係を築くやり方はいろいろあります。たまにどうしようもないピンチに陥ることもありますが、その場合は「今日は胃が痛い」とか何とか、ごまかす事だってできますし。

  いちばんまずいのは、どうせ自分はFDなのだから、と諦めて、他人との関係を絶ってしまうことだと思います。FDだと、食事で辛い思いをしたくないため、どうしても「場面から逃避する」行動を取ってしまいがちです。でも、安易に逃避してばかりだと、「人付き合いが悪い」というレッテルを貼られてしまい、あるいは自信を無くしてしまい、悪循環に陥りやすいような気がします。小さな成功を重ねたり、時には失敗したりしながら、自分を場面に慣らす努力というか、心がけは必要なんだろうなと思っています。

 

 特に学生時代は、接待がある訳でなし、ビジネスランチがある訳でなし、工夫次第でどうにかできるのですから、自分なりの立ち位置や方法を見つけて人間関係を広げる努力をしないといけませんよね。きっと皆さんいろいろ工夫されていることでしょう。私は学生時代、友人の昼食に付き合いながら、「金がないんだよねー」などと理由をつけて、コーヒーだけ飲んだりしていました。

  社会人になれば、これはまあ職業しだいですし、一概には言えませんが、学生時代を前向きに暮らしていれば、狭いようで広い社会、自分が果たすべき役割を見つけることができるのではないでしょうか。

 

 …などと、エラそうなことを書きましたが、やっぱり、「もしFDじゃなかったら」と考えてしまうことはきっとあることでしょう。自分も職業選択の時に、そうした問題に直面しました。今でも、当時のことを思い出すと心がちくりと痛むことがあります。 でも、意識して自分の生き方を探しながら前向きに生きていくことがいちばん大事なんじゃないかと、少なくとも私は自分に言い聞かせています。 あとは、時が解決してくれるのを待つしかないでしょう。

 

 何だかとりとめのない話になってしまいました。でも、広い宇宙、太陽系の地球の、日本という平和な国に、この時代に人間として生まれた。何やら神がかったように聞こえるかもしれませんが、こんな恐るべき奇跡のもと与えられた人生、有意義に過ごさなければ、もったいないですよね!

 

経験談をお寄せください。