人前で食事ができない、他人といっしょにご飯が食べられない、レストランなどでの外食ができない、というのがFD(会食恐怖症)の主な症状だと思います。
私の場合は時と場合によりさまざまで、正確に説明するのは少し難しい印象がありますが、典型的な例でいうと、例えばこんな感じです。 状況によって、反応が軽い時と、どうしてもダメな時があります。
大雑把にいうと、「人といっしょに食事ができない」「外食が苦手」、というのがFDの症状ですが、症状が出るのには、いくつかの条件があります。 私の場合を列挙してみました。
…などなど。書いていて、よくもまあ、生きにくい人生だなあと、われながらつい苦笑いしてしまいました。
最近はだいぶ軽減されましたが、こうした条件が組み合わさった時、急に「スイッチ」が入ったようになり、まったく食べられなくなることがあります。実際にこうした場面に直面する前であっても、食事に行く前に予期してしまい、不安が頭をもたげることもあります。一度そうなってしまうと、途中でリカバリーすることは難しく、もはやどうにもならないことがほとんどです。
一時期、心療内科を受診し、処方された抗不安薬を頓服的に服用したことがありましたが、あらかじめの不安は多少軽減するものの、食事の場面での劇的な効果は期待できませんでした。むしろ眠気の副作用がきついので、よほどの場合を除き使うことはあまりありませんでした。
反対に、食べられることが多いのは、以下のような場合ですね。
これもまた、ケースバイケースです。たとえ家族と一緒であっても、レストランの雰囲気で急に駄目になり、入口で引き返すこともあります。
こうして改めて見てみると、やはり給食の体験が根本にあるようで、私は「食べなければいけない」「食べなければ相手に悪い」というプレッシャーを感じる場面が苦手なのですね。あとは、意識していませんが、「何で食べないのだろう」と他人に思われたくないという深層心理でしょう。給食を食べるのが遅くて皆の視線を浴びた時の感覚に近いでしょうか。実際には、誰もそんな事など気にしていないのですが、無意識のうちに、必要以上に周囲を意識してしまうのがFDだというわけです。
ところで、「他人の目が気になる」といっても、私の場合、それがまったく「食事の時に限る」のです。
それがある意味、この症状の厄介なところでもあるのですが、自分の場合、他人と話をするのは好きですし、人前で発表したりすることにもさほど苦痛を感じません。「子育て」に関するシンポジウムのパネラーとして、壇上で話をしたことも、むしろ楽しめました。
「会食」や「外食」の時にのみこの症状が表れるのですが、夜の会の時は上記のようにあまり問題が出ませんし、昼は弁当でしのぐなどしてきたので、私がFDであるということを知っている同僚や友人は、全くいないのが現状です。
そういう意味では「重症」ではないのかもしれませんが、自分では、なるべく人と同じ生活ができるよう、意識して同僚との食事にチャレンジするなど、自分なりの努力は続けてきたつもりです。感覚的に、引きこもったら最後、この症状はきっと悪化するだろうと思っているからです。
それでも年に数回、しばらく落ち込んでしまうような失敗をしてしまう、というのが実態ですが。